障害者との距離感
恥ずかしながら、眼科病棟に勤務の経験がありながら、その
後の外来勤務を経験するまで視覚障害者の歩行時の一般的
な誘導の仕方を知らなかった。
誘導する際はジェントルマンのように自分の二の腕か肩につか
まってもらい、すっすっと歩けば良い。
後は自分が何気なく避けてる段差や障害物、人の流れをその
人も一緒に自然に避けれるように一体化して歩けばいいだけだ。
今は私自身の歩行が不安定で遅いので誘導は無理(視覚障害
者は意外と普通に早足で歩く方ばかり)だけど、以前は改札前
の込み合っている券売機前なんかで誘導をしたこともある。
普通に皆が気をつけるのが邪魔にならないように避けること。
でも、もう一歩手を差し伸べることができたら・・・
そんな出来事が少し前にあった。
その日私は電車に乗っていた。しっかりつかまっていられる
ドア脇の棒が私の定位置で、珍しく反対側のドア脇には視覚
障害の男性が杖を持って立っていた。
一人で電車に乗って、あちこち行けるようになるまで大変だった
んだろうなと思いつつも、もう慣れた経路なんだろうか、等と
想像したりしていた。
あるホームに到着してその男性が降りて行った。
まっすぐに電車が止まっている向かいのホームに歩いて行く。
おそらくいつも乗り換えているルートなんだろう。
○時○分の電車の○両目に乗って○○駅で乗り換える。
このまままっすぐ歩けば、丁度向かいの電車のドアにたどりつく
ことができる・・・・・
はずだった。
男性が歩くはずのホームには自動販売機があって、たまたま
業者が飲み物の補充をしていた。
ホームにはダンボールの箱がいくつも置いてあり、このまま
まっすぐ歩く男性の障害物となるのはまちがいなかった。
当然杖がダンボール箱に当たり、障害のない歩ける道を探す
ために男性が少し右往左往していた。
缶ジュースを補充する業者の人は手を止めて自分が邪魔に
ならないように除けて男性を見守っていた。
ほどなく男性はダンボールを除けることができて、向かいの
電車に向かって歩き始めたが、電車のドアは閉まり発車し始め
ていた。
それに気づかないため、どんどんスピードをあげて走る電車に
一直線に歩いて行く。おそらく普段ならぴったり乗り換えできる
わずかな時間であるのか、男性は焦っているように見えた。
危ない。誰か教えてあげないと。
加速していく電車にぶつかる、線路に巻き込まれる、と思った
瞬間慌ててかけよった女性に引き止められていた。
それでも、すぐには状況が飲み込めなかったらしく、片足をあげ
て電車に乗り込むようなしぐさが見えた。
あの時缶ジュースの業者の人がほんの少し、誘導してあげた
なら・・・と思ったけれど責めるつもりはない。
わからないということは、どうしたらいいのか想像できないという
こと。思いが及ばないことだから仕方ない。
そういう私も、例えば電車や人ごみの中で大声で独り言や歌を
歌っている知的障害者と思われる人には本当はどう接するのが
いいのかわからないから黙っている。
若くて健康だった頃は自分がいかに颯爽と歩くかということに
関心があって、歩行が不自由な人を見ても大変そうだな位しか
思いが及ばなかったように思う。
出歩くと、親切に声をかけてくれる人が増えたように思うこの頃。
きっと自分にできる親切の形がわかっているんだと思う。
いろんな障害の人が街中で大変だったり苦労したり、困っている
姿を見せる。それを助ける人がいる。その光景をみて、こんなとき
はこうすればいいんだという理解が生まれる。
そうやって障害者との距離感は埋まっていくのかもしれない。
こんないいお天気に家でこもってないで外に出た方がいいと
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